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教育は存在するのか
デザイン学校の先生になってから、あと数カ月で一年が経過する。
格闘技のインストラクタと異なる点は、「学びに来ている」と言うモチベーションが若干少ない事だ。格闘技の方は、趣味として楽しむ、長く続ける、なんかしらの向上の為、などが感じられるが、デザイン学校の生徒はと言うと、そういった面が見られる生徒が稀少だと感じる。
就任当初は年齢によるものだ、と考えていたが、世間を見渡してみてもそうは思えない事に気づき、すぐにカリキュラムの訂正を分らないように行った。わからないようにと言う部分は非常に難しく、配っている用紙(カリキュラム)に沿っているが、それだけでは無い、と言う内容にしなければならない。また、二年生を担当したが昨年学んだレベルが若干低く、正直に言うと授業内容も個人で行えるレベル、それも本などを読み一週間程度行えば済むといった内容だと解釈した。もちろん実際は違うのかも知れないが。

生徒はお金を支払い、時間と労力を使って来ている。従ってお客さんであり、学ぶ権利があるが、技術と知識の向上が保証されているわけではない。よく耳にするのがほっといても出来る子は出来るといった内容の話で、それでは学校は何の為にあるのか、と言う疑問が浮き上がってくるのが目に見えている。
向上心があり、いわゆる出来る子と称されている生徒こそが、学校の本質的な部分を見抜き、良し悪しを世間に広めるバイラルになる。

一番ビックリした事が、これは僕の科しか分らない事だが、先生が楽を求めている事だ。
教える方法でも何でも楽な道すじを考え、それに沿う形となっている。非常に危険な状態と言えるだろう。結果として、卒業生の満足度はかなり低い。
興味があったので、社でリサーチしてみると、学校の良い評判は嘘っぽいサクラなんじゃないか、と思える程に評判は悪い。これは何所の学校でも言える事だが、通っている学校が素晴らしいと感じている生徒は稀少なようだ。

「恥ずべきは教師である。幾何学を知らずに絵を教えているのだ」と言う有名な言葉があるが、先生がデザインについて学ばずに、感覚的、直観的な手法を教えている。
結果、生徒は勿論それが正しいと受け止めている。

上記のような話をまとめ、別視点で感じた問題点を提案書にまとめ学校へ提出し、改善するべき部分を身の回りから始める事にした。こういう点では、一般的な学校よりもクリエイティビティが高い方が良いのかもしれない。組織としてと言うよりも、理解度があったのが良かったと思う。

一年生を担当する事になり、二年生のカリキュラム含めてを全て決めさせて貰う事になった。書籍の購入や教師の連係の取り方なども考慮した物に仕上がった。
結果としてあまり良い状況とは呼べなかったが、それでも意識としての改善は行えたと思う。
連携方法として、密な連絡が基本となると考えたのだが、コミュニケーションの取れない方もいるし、こればかりは一方的な連絡をしてもあまり意味が無い。意識を変える為に行ったので、次期はかなり変わると期待している。期待する事がエゴだが。

今まで教育に興味があったが、関わってからはそういった事が少なくなってきたと思う。
今教えている生徒の中で、本気でデザインを仕事にしたい、と考える生徒にこういった世界があると言う選択肢を与える事に興味がある。後は本人が決めれば良い。

しかしながら思うのは、生徒は本当に素直だ。
たまに耳にする「最近の若者は」と言う言葉を大人にそのまま返すべきである。
by doggy_kou | 2007-12-12 04:29 | その他
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日々起きた事。 
by doggy_kou